萬年堂の歴史
元和3年、京都寺町三条から萬年堂の歴史がはじまりました。
創業から変わることのない御菓子作りへの情熱。
萬年堂の御菓子は、歴史と共にその味わいを深めて参りました。
活気に満ちた時代に生まれた萬年堂は、人々に親しまれながら新たな形、食感、味を生みだして参りました。
これからも萬年堂は、皆様に喜んでいただける御菓子を作り続けます。


和菓子 萬年堂の歴史
- 元和3年(1617)
京都寺町三条にて「亀屋和泉」を名乗り創業。
御所、所司代、寺社等に菓子を納める。
各種生菓子、干菓子に加え元禄頃より高麗餅(御目出糖の原型)を作り始める。
明治五年遷都に伴い東京八重洲北槇町に移転、「亀屋和泉萬年堂本店」の看板を掲げる。
明治中頃よりそれまでの高麗餅を赤飯に見立て「御目出糖」と名付け売り出す。
震災 戦災で八重洲の店舗を消失、銀座に移転。
現在は銀座八丁目三原通りにて営業。萬年堂言板
禁裏に出入りの書き物には、生菓子、干菓子、餅菓子に加え各種料理も仕出し屋のように納めていた記録も。
- 元禄時代
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御所、所司代、寺社等に菓子を納める。
当時は店頭販売などではなく、外居(ほかい)などに菓子を入れお得意様にお届けしておりました。
現在の銘菓「御目出糖」のルーツ「高麗餅」は元禄期の書き物から。
当時の製法をもとに今でも作り続けております。
- 明治5年
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明治維新ののち明治天皇についてくる形で東京八重洲北槙町(現在の八重洲口)に移転。
「亀屋和泉萬年堂」の屋号を名乗る。
- 大正12年
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関東大震災で八重洲店舗、消失。その後再建。
- 昭和初期
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銀座に出店。喫茶も併設。
- 昭和20年
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東京大空襲により各店舗消失。八重洲店舗はそのまま失い銀座店舗1店舗のみ再建。
銀座内で何度か移転し営業。
蕨もち製「喜のつゆ」発売。御手土産の定番に。
- 平成13年5月
- 工場を浅草橋に移転。
- 平成13年10月
- 工場併設の浅草橋店開店。
- 平成27年~
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銀座5丁目に移転。羊羹製「百果」なども人気商品に。
銘菓「御目出糖」を看板に盛業中。
羊羹製「百果」なども人気商品に。
- 令和4年9月
- 9月11日より喫茶併設の新店舗に移転。
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